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変な固定概念はせっかくの学びのチャンスを台無しに!

いざ!新しいことにチャレンジしよう!と思ったときに、
自分で、「これは難しそう」「つまらなさそう」とか、
他の人からも「とっても苦労した」「面白くなかった」と言われてしまって、
そのまま挑戦をあきらめてしまう・・・
そんなとってももったいないことに出くわすことがある。

40年以上を生きてきた自分でいうと、
まず、学生時代の学校の授業。
国語、算数・数学、英語、理科、社会・・・。
小学校、中学校と授業は実につまらなかった・・・。

でも、今、思うと、非常にもったいない!

一番は「社会」。
日本史は、戦国時代でいろいろな武将とその生き様を知り、
幕末で江戸から明治へのすさまじい大転換の舞台を知り、
そこから、井沢元彦さんの逆説の日本史を読んでからは、そもそもの日本の成り立ちに興味を持つようになった。

今は、そこから世界の歴史の流れに興味をもって、ローマ史を読んでいるところ。

地理は、なんといっても「ブラタモリ」を見て、地理の楽しさを学んだ。

国語は、そもそも本を読むのが嫌いだったし、作文や感想文なんて何を書いていいかわからなかった。
漫画を除く、文字という文字が嫌いでたまらなかった。

社会人になってからは、仕事上、否応がなしに文章を書く機会があって、しぶしぶ文章を書いたが、
いざ、次第に文章を書くことに慣れてくる(コツを掴んで文章を書くことが嫌いではなくなる)と、自ら文章を発信したくなる気持ちが込み上げてくるものだ。

もっというち、「文章を書くこと」が目的ではなく、自分がいろいろ経験をし、それを他の人いも知ってもらいたい!という欲求が芽生えると、それを文章として発信したくなるという流れ。

だから、文章の良し悪しよりも、まず、それを必要とする人に伝わればいい。

あとは、文章を書いているうちに、他の人から感想・フィードバックをもらって、書き直しをするうちに勝手に文章はうまくなる(ハズ)。

というように、大人になってからは、いろいろな経験が増えると、その事柄について、
さらに「なんで?」という疑問がわき、それを追求していくと、さらに「なんで?」というように、
知的欲求なるものが、どんどん湧き出し、なんでも興味をもつようになり、たえず情報収集するというような、知的欲求の無限ループにはまる。

こうなると、勉強が楽しくて、楽しくてしょうがなくなる。

でも、社会人になって会社で強制的に取らされるされる資格の勉強は嫌いだった。

情報処理技術者試験、簿記3級など。

つまり、自分の場合は、自発的に芽生えた欲求は楽しいが、強制される場合は、つまらないということだ。

それでも、その中に無理やり楽しみを見出すと、その勉強も楽しくなることはできる。

他には、英語の勉強、Excleの関数、バスケの審判取得などが、チャレンジする前にあきらめてしまった。

実は、このような「固定観念」や「他人のネガティブな意見」が、私たちのパフォーマンスや学習の質に大きな影響を与えることがある。

今回は、固定観念がどのようにして自分たちの学びの意欲を奪い、どうすればそれを克服できるのかについて考えてみた。


固定観念が生まれるメカニズム

自分たちが何か新しいことを学ぼうとする前に、他人からのネガティブな意見や情報を聞いてしまうと、それが心に引っかかり、行動に影響を与える。

例えば、自分の場合でいうと、先にあげた学生時代の授業の他に、子どものバスケの審判の資格を取ろうと考えたとき、「間違ったジャッジをするとクレームがくるから大変!」と他の保護者さんから聞かされ、その不安や恐れから資格取得を諦めてしまった。

でも、他のパパさんがチャレンジして、最初は苦労しながらも立派に審判をしているのを見て、自分もやっておけばよかったなぁと、今、後悔している。

というように、このような他人の意見によって生じた「固定観念」は、
自分がまだ経験していないことに対する誤った期待や不安を増幅させ、本来は楽しんで学べるはずのプロセスを難しく感じさせてしまう。


固定観念を手放すことの大切さ

一度ネガティブな情報を耳にしてしまうと、その情報が学習パフォーマンスに影響を与えるといえる。

しかし、いざその状況に直面してみると、意外にもすんなりと理解できたり、習得できたりすることもある。

例えば、「英語のリスニングは難しい」と思い込んでいたとしても、実際に必要に迫られて勉強すると、
まったく何を言っているかわからない状態から、次第にぽつぽつと単語を聞き取れるようになり、
そこから1つの文書として、頭にはいってくる。

これは。強制的に勉強してがんばろうというよりも、普段の娯楽のYoutubeや映画の中で、日本語の字幕を見て理解しているうちに、いつの間にか英語が聞き取れるようになってきた。

つまり、「嫌い、つまらない、めんどくさい」というマイナスな固定概念が一切ない中で、
英語の会話にふれ、慣れ親しんでいるうちに、自分の脳が勝手に理解をしてくれるようになっていたということ。

※といっても、英語の会話の内容の理解度は、20%ぐらいです(汗)
それでも、まったく分からない!という状態から、なんとなく聞き取れるようになってきたいというのは大いなる進歩!

このことからもわかるように、固定観念を手放し、純粋な気持ちや楽しみを交えて学ぶことができれば、
人はかってにモノゴトを理解するようになると思うのです。

もっというと、「●●●年に▲▲▲がおこった」と暗記と思っていた社会の授業ではなくて、
「なぜ、本能寺で光秀は信長を殺したのか?」
「なぜ、羽柴秀吉はあんなに早く山崎まで引き換えされたのか?」
こういったところに目をやると、日本史は非常におもしろい。

ちなみに、僕が住んでいる栃木の日光に「明智平」という地名はなぜあるのだろう?
徳川と明智はなんらかのつながりがあった?など、残念ながら明確な回答はないけれでも、
ある意味、光秀がいたから江戸幕府はできて、日光に東照宮が祀られたわけで、
もしかしたら??なんて、思いをはせる楽しみが、日本史にはあると思うのです。

他には、薩長が江戸幕府を倒せたのは、誰がバックについていたから?など(笑)


固定観念にとらわれない学びのコツ

では、どのようにして固定観念にとらわれず、純粋な気持ちで学ぶことができるのか?
自分なりに考えると、以下のポイントです。

  1. 他人の意見に左右されない
     他人からのネガティブな意見や経験談を過度に信じず、まずは自分自身でそのチャレンジに向き合ってみる。実際に体験してみることで、自分の視点から得られる学びは他の何よりも価値があるはず。
  2. ポジティブな視点を持つ
     学ぶ過程を「楽しいもの」と捉えることで、難しく感じることがあってもそれを乗り越えやすくなる。ネガティブな情報に惑わされるよりも、自分が何を得たいのかに集中することが大切。
  3. 必要に応じた学習
     必要に迫られて学ぶとき、人は驚くほど効率的に新しいことを吸収できる。それをプレッシャーと感じず、自分にとって必要なことは必ず身につくという前向きな気持ちで取り組む。

まとめ

固定観念は、他人の意見や先入観によって簡単に生まれてしまう。それによって自分の可能性を狭めてしまうこともある。非常にもったいない!

他人のネガティブな意見に振り回されず、ポジティブな視点を持ちながら学びのプロセスに集中することが、最も効果的な学習方法です。そして、なによりそのプロセスが楽しい!自分の知的欲求を大いにふくらませる!

次に何か新しいことに挑戦するときは、まず自分自身でその体験を楽しむことを心がけよう。
きっと、驚くほどスムーズに習得できる!はず

学びは面白い(笑)

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